2014年5月29日木曜日

ハートの日々

ある日からハートに留まることを覚えた。
ちょっとしたきっかけで、何かがカチッときた。
その瞬間から全てがスーッと溶けるかのように広がり、
ハートのスペースに寛げるようになった。

よくハートが開くという言葉を聞くが、一瞬そんな風にも感じた。
しかしすぐにそれは間違いだと気付いた。
なぜならハートはもともと開いていており広がっていたからだ。

私が素通りして気付かなかっただけのこと、
私が留まることを怠っていただけのことだったのだ。

ハートに留まる時
それはまるで漂うよう木片のようでもあり
大海そのもののようにも感じる。

男性であり、尚且つこの年齢で(笑)
今このスペースに降り立つことができたことを
とても感謝しています。

なぜならその日以来、かつて味わったことが無いような
不思議な平安が、まるで小鳥のように時折訪れるようになったから。












2014年5月27日火曜日

ダイナミック瞑想

この瞑想法はインド人の神秘家「和尚」が考案したまさに現代人のためのものです。
彼が常々語るのは、現在私たちが試みている多くの瞑想法は技法としては申し分ないものだと。

ただそれらは今から2500年以上前に考案されており、更に技法を行う私たち人間はすっかり変わってしまったと・・・故に多くの技法は過去の人々には最適だったとしても、現在の私たちにとってはむしろ害にあるいは重荷になると・・・故に今私たちが過去の人々と同じスタートラインに立つことが必要とされている・・・・そしてその時初めてそれら瞑想技法が私たちの中で働き始める。

この瞑想は動(ダイナミック)と静(サイレンス)という瞑想としては矛盾した対極の要素が織り込まれています。そして私たちがこの対極を行き交う時、私たち現在人特有の重荷は解放され、自然に瞑想のスペースへと入る準備が整っていきます。

私も過去この瞑想を1年以上継続試みてみましたが、この技法がその後の瞑想人生において確固たる基盤になったことを知っています。

瞑想は何処か園芸に似ています。どちらも最初にこの荒れ果てた大地に鍬をいれ、根気強く土壌を整えることが必須です。古代人に比べ私たちは頭だけの荒れた大地のようです。

でも一旦この土壌を整えることができれば、瞑想は、自分を世話することは、この上とない喜びと発見の連続となるでしょう。

この瞑想は1970年頃に和尚からリリースされたと聞きます。

















2014年5月19日月曜日

終の時間

私のような年齢?になると人は「終の棲家」『終の時間」のことを考えたり探し始めたりする。
人生の最後を迎えるにあたり納得できる場所や状況を求めるのだ。

しかし「終の棲家」とはまるで最愛の人を捜し求める想いにどこか似ている気がする。
この果てしなく広大な地球上で、この無限の選択肢の中で、残されたわずかな時間、いったいどれだけのリストを見つけることができるのだろうか?

選択は果てしなく、エネルギーはわずかで、時間はあまりにも短い。

長年夢描いていた人生のロードマップの最後は意外なほど短く呆気ない。
結局私たちは生は何の理由も無くただ儚いものだという事実をこの時初めて知る。

もちろん幸運にも「終の棲家」「終の生甲斐」を見つける方々も多々おられるとは思うが
大方はそのことへの葛藤と挫折の内に老いという中へと滑り込んでいく。

そして幸運だった方々もその幸運が、満足が、一時のものだということをいずれ知る。

何であれ私たちが追い求めてきたきたもの全ては・・・砂上の城のようだ。
財力も、権力も、名誉も、知識も、男も、女も・・・ 私たちの「終」を納得させ満たすことはできないようだ。

むしろ逆に全てを飲み込む「虚無の存在」に初めて向き合うことになる。

それは全人生を通じて絶えず避け続けてきた空虚。
一度も覗き込むことすら試みず、自ら体験すらしなかった神秘だ。

そして遅かれ早かれ紛らわす術が尽きる時、私たちは自ら無意識へと消えていく。
絶えず存在していた神秘だけを残して。

そしてまたこの神秘を味わうために私たちは始める。


今私は思っている。
それは存在が、神が、無限に気前がいいとは思えないことを。
なぜなら私たちは生かされているのではなく、ただ起こっているようだからだ



チャクラブリージング瞑想


和尚の瞑想の中でチャクラに関わるものは幾つかありますが。この瞑想はその中の一つで、とても強烈な浄化を伴うものです。

代表的なもう一つのチャクラサウンド瞑想と比べるとまるで陰と陽、静と動の違いを感じます。
瞑想では自身の呼吸を使い7つのチャクラそれぞれを浄化(クリーニング)していきます。

最初はただのイメージのように思えますが、それは徐々にリアリティを増し、最後は全身、全エネルギー、全チャクラが、浄化の嵐にさらされていくのを感じることとなるでしょう。

チャクラ版ダイナミック瞑想?と言えないこともありません。
ともかく何かをクリーニングしたいと感じたなら違いなくお勧めする瞑想の一つです。

そして7つのチャクラの浄化の後に訪れるステージ・・・静寂(サイレンス)は筆舌に尽くしがたい
深みと穏やかさを貴方の内側にもたらします。

ともかく私たちがもっと寛いでいて良いのだということを体験的に教えてくれる瞑想となります。



和尚ヴィギャンバイラヴタントラのカードより







2014年5月16日金曜日

クンダリーニ瞑想

和尚を代表する瞑想の一つにクンダリーニ瞑想があります。

初めて瞑想の世界に入った頃、いろいろな瞑想法を試してみましたが、
最初に引かれ、その後も自分を支えてくれたのがこの瞑想です。

ある意味この瞑想を通じて自分の内なる探究が始まったと言っても過言ではないような気がしています。

クンダリーニというネーミングから俗っぽいスピリチュアルイメージを描く人もいますが、この瞑想はまさに洗練された現代人のためのモダンメソッドと言えます。

この瞑想の各ステージ・・・シェイク、ダンス、サイレンス、アウエアネス・・・を通じて、まさにガチガチだった当事の自分を瞑想のスタート地点へと導いてくれました。

この一日のためにも、この人生のためにも、まさに「百益あって一害無し」(笑)!

今でも大好きな瞑想の一つです。







2014年5月9日金曜日

ナタラジ瞑想

ナタラジ瞑想というとてもユニークな瞑想法があります。
踊り(ダンス)の瞑想で、約40分間ひたすら踊り続けます。

通常どの瞑想技法も形態は別にして気付きを失わない事が求められますが、
この瞑想は自身を失うことが求められます。

まるで踊りに乗っ取られ、踊り手が失われ、踊りそのものになっていくまで、
自己が消滅していくのを許していきます。それがこの瞑想の美しさです。

その後深い手放しのステージを経て統合と祝祭の時を迎えます。

踊ること、踊りにそのものに溶け去ること・・・
それはマインドを超えるための一番簡単な道のひとつだと言われています。

私はかれこれ20年近くこの瞑想に親しんできましたが、
一度たりとも同じ瞑想をしていると思えたことがありません。

絶えず新鮮に感じ、初めての体験、驚きを与えてくれます。

そこがこの瞑想の神秘なのだと思っています。