2014年6月16日月曜日

初めての瞑想

初めての瞑想の体験は今でもはっきり覚えている。

それは今から30数年くらい前(!大昔・・・笑)。
当時私は数年前に出会った和尚の本をむさぼるように読んでいた。

ある時、ある講話の中で、和尚のある言葉が目に飛び込んできた。
前後のことは覚えていないが和尚は言った 「あなたはたった5分であっても目を閉じてはいられないだろう・・・それは永遠に感じるだろう・・・」 というものだった。


それは明らかに瞑想に関する話なのだが当時の私は瞑想の「め」の字も関心は無かった。
あるいは避けていたのか? しかしその言葉だけは飛び込んできた。

そんなばかな! と思いながら とりあえずその本を脇に置き そばにあった目覚ましを15分(当時持っていた時計は今と違い細かくは設定できず) セットしてソファーの上に座った そしておもむろに目を閉じてみた。このくらいはどって事は無いと思いながら。

しかし今振り返れば・・眠るとき以外、意図的に目を閉じ、音楽も何も無い時間を過ごすことは初めての体験だった。

数分が過ぎただろうか、気付くと私の内側は大騒ぎになっていた・・・何だこれは! と思った矢先混沌に支配されてしまった。一秒一秒が果てしなく感じられ、鼓動は早まり、身体は汗ばみ、あたかも無限地獄に迷い込んだように思えた。 暫くしてどうしても我慢ができず・・・もうそろそろだろう・・・と思いながら薄目を開け、時計を見ると、明らかに5分しか過ぎてはいなかった。そしてその事実が私を更に打ちのめした。

和尚が言う、「あなたはたった5分であっても目を閉じてはいられないだろう・・・それは永遠に感じるだろう・・・」 まさにまさにその通りだった。

それからの残りの時間はお察しの通り地獄の責め苦となった。

やがてアラームが鳴り、ようやく開放された私は、自分の内側に起こった事実に当惑しながら、なぜか和尚の存在を初めてどこか身近に感じていた。

いつもならあっという間に過ぎていたこのわずかな時間がこのような側面を持ち合わしていることをこの日初めて知った。そして自己流ではあったが私にとっての初めての瞑想?体験となった。

その後私が瞑想に出会うにはまだかなりの時間が必要となるが、少なくとも意図的に自分の内面に出会った最初の一歩であり、生涯忘れることができない出来事の一である。









2014年6月10日火曜日

生の7年周期

私事ですが先日誕生日を迎えました。

しかしこの年齢になると誕生日というのは余命が差し引かれる日としか思えず、生とはこういうことなのかということが年毎に真実味を増してくる。一つ年を取るごとに意気揚々としていたあの頃とは真逆の感じ(笑)だ。 

だが生が無限ではないことを実感できることはとても素晴らしい。なぜなら今この瞬間の価値を味わうことになるからだ。そしてその日から生きる意味合いは本当に変わってしまった。

故にこのことに気付くところまで生き永らえた事は幸運の極みだと言えるし、同時に感謝も生まれてくる。

私の師である「和尚」がよく「人生におけるあらゆる事柄はあなたを助けている」と言っていたが、それは本当だったし全面的に同意することすらできる。

さてよく「和尚」は生の7年周期のことを語っていた。
私たちが正しく(自然に)生きるなら生は7年の周期で動くと言うのだ。それは自然の周期で、一日が24時間であり一年が365日であるのと同じことなのだそうだ。

そこで我が身を置き換えると、これからの私の一年は、9回目の7年周期の最後の年となる。
根底に流れる正しく生きたらはどう考えても該当しそうもないが、それでも年齢だけは当てはまるので気持ちだけかもしれないが向こう一年その意味を噛み締めて生きてみたいと思っている。

因みにこの周期の学びは・・・56歳から63歳までのあいだに、あなたは自分のなるはずだったものに完全になる。潜在的な可能性が花開く・・・とある。

現実とはかなりかけ離れてはいるけれど・・・誕生日のささやかな誓いとして・・・この一年・・・自分なりに精一杯生きて在ろうと今決意をした。





















2014年6月6日金曜日

ハートチャクラ瞑想

この瞑想を初めて体験したのは今から20年以上前になります。

瞑想としてはとてもユニークな目を開けて行う技法で、
ハートのスペースから気付きを伴い独特の動きを展開していきます。
当時とても新鮮に感じ、深く印象に残ったのを今でも覚えています。

その数年後、偶然にもこの瞑想CDを手に入れることができ
それからは定期的にこの瞑想を試みるようになりました。

不思議なことにこの瞑想において気付きを見失う瞬間
それは動きに現れてしまいます。まるで禅スティックのように。

このことは自分の気付きが見失われる瞬時を理解するための
よい体験となります。

単純な動作の連続ですが今この瞬間に気付いていることは
必須です。

ある意味グルジェフダンスの要素が含まれているのかもしれません。

また全ての動作はハートから始まるようになっており、
同時に発するハートからの発声もハートのエネルギーを高めます。

この瞑想を終えた日は、いつもと違いハートのスペースがとても暖かく、
ハートに気付きながら心地良い感覚の中で過ごすことができます。

自分のハートに気付き、自分のハートに寛ぐための
素晴らしい瞑想のひとつです。