初めての瞑想
初めての瞑想の体験は今でもはっきり覚えている。
それは今から30数年くらい前(!大昔・・・笑)。
当時私は数年前に出会った和尚の本をむさぼるように読んでいた。
ある時、ある講話の中で、和尚のある言葉が目に飛び込んできた。
前後のことは覚えていないが和尚は言った 「あなたはたった5分であっても目を閉じてはいられないだろう・・・それは永遠に感じるだろう・・・」 というものだった。
それは明らかに瞑想に関する話なのだが当時の私は瞑想の「め」の字も関心は無かった。
あるいは避けていたのか? しかしその言葉だけは飛び込んできた。
そんなばかな! と思いながら とりあえずその本を脇に置き そばにあった目覚ましを15分(当時持っていた時計は今と違い細かくは設定できず) セットしてソファーの上に座った そしておもむろに目を閉じてみた。このくらいはどって事は無いと思いながら。
しかし今振り返れば・・眠るとき以外、意図的に目を閉じ、音楽も何も無い時間を過ごすことは初めての体験だった。
数分が過ぎただろうか、気付くと私の内側は大騒ぎになっていた・・・何だこれは! と思った矢先混沌に支配されてしまった。一秒一秒が果てしなく感じられ、鼓動は早まり、身体は汗ばみ、あたかも無限地獄に迷い込んだように思えた。 暫くしてどうしても我慢ができず・・・もうそろそろだろう・・・と思いながら薄目を開け、時計を見ると、明らかに5分しか過ぎてはいなかった。そしてその事実が私を更に打ちのめした。
和尚が言う、「あなたはたった5分であっても目を閉じてはいられないだろう・・・それは永遠に感じるだろう・・・」 まさにまさにその通りだった。
それからの残りの時間はお察しの通り地獄の責め苦となった。
やがてアラームが鳴り、ようやく開放された私は、自分の内側に起こった事実に当惑しながら、なぜか和尚の存在を初めてどこか身近に感じていた。
いつもならあっという間に過ぎていたこのわずかな時間がこのような側面を持ち合わしていることをこの日初めて知った。そして自己流ではあったが私にとっての初めての瞑想?体験となった。
その後私が瞑想に出会うにはまだかなりの時間が必要となるが、少なくとも意図的に自分の内面に出会った最初の一歩であり、生涯忘れることができない出来事の一である。
それは今から30数年くらい前(!大昔・・・笑)。
当時私は数年前に出会った和尚の本をむさぼるように読んでいた。
ある時、ある講話の中で、和尚のある言葉が目に飛び込んできた。
前後のことは覚えていないが和尚は言った 「あなたはたった5分であっても目を閉じてはいられないだろう・・・それは永遠に感じるだろう・・・」 というものだった。
それは明らかに瞑想に関する話なのだが当時の私は瞑想の「め」の字も関心は無かった。
あるいは避けていたのか? しかしその言葉だけは飛び込んできた。
そんなばかな! と思いながら とりあえずその本を脇に置き そばにあった目覚ましを15分(当時持っていた時計は今と違い細かくは設定できず) セットしてソファーの上に座った そしておもむろに目を閉じてみた。このくらいはどって事は無いと思いながら。
しかし今振り返れば・・眠るとき以外、意図的に目を閉じ、音楽も何も無い時間を過ごすことは初めての体験だった。
数分が過ぎただろうか、気付くと私の内側は大騒ぎになっていた・・・何だこれは! と思った矢先混沌に支配されてしまった。一秒一秒が果てしなく感じられ、鼓動は早まり、身体は汗ばみ、あたかも無限地獄に迷い込んだように思えた。 暫くしてどうしても我慢ができず・・・もうそろそろだろう・・・と思いながら薄目を開け、時計を見ると、明らかに5分しか過ぎてはいなかった。そしてその事実が私を更に打ちのめした。
和尚が言う、「あなたはたった5分であっても目を閉じてはいられないだろう・・・それは永遠に感じるだろう・・・」 まさにまさにその通りだった。
それからの残りの時間はお察しの通り地獄の責め苦となった。
やがてアラームが鳴り、ようやく開放された私は、自分の内側に起こった事実に当惑しながら、なぜか和尚の存在を初めてどこか身近に感じていた。
いつもならあっという間に過ぎていたこのわずかな時間がこのような側面を持ち合わしていることをこの日初めて知った。そして自己流ではあったが私にとっての初めての瞑想?体験となった。
その後私が瞑想に出会うにはまだかなりの時間が必要となるが、少なくとも意図的に自分の内面に出会った最初の一歩であり、生涯忘れることができない出来事の一である。
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