マハムドラー瞑想
マハムドラー瞑想は古い瞑想技法のひとつでありラティハンを伴う瞑想です。
(ラティハンとは何もせずリラックスして立ち、ただ神が訪れるのを待つという意味)
このラティハンを通じて人はゆっくりとこの宇宙に、存在に対して開いていくことで、同時にゆっくりと全体にチューニングが合っていきます。
私はこの「何もしない体験」そのものは人が経験しうる最も美しい出来事の一つではないかと思う。
やがて存在と波長が合い、自身を失い、一つの空の器になってきたら次の祈りのステージへと移り、存在という大海の一つの波として溶けていきます。
とても微細な瞑想技法で、初めての方は少し戸惑いを感じるかもしれませんが少しづつ体験を重ねるうちに自身の無限性を内側から知ることになるでしょう。
また思いもよらない寛ぎに出会うことにもなるでしょう。
うそだと思ったら試してみて下さい(笑)!
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ある日あなたは自分がいないのを感じるだろう
ただエネルギーが宇宙と脈動しているだけだ
そこには誰もいない
さしもの自我も完全に無くなってしまう
やり手はいない
宇宙があり、あなたがいる
海といっしょに脈動する波……
それがマハムドラーだ
それは最終的なオーガズムであり
可能な限り、最も至福に満ちた意識の状態だ
ただエネルギーが宇宙と脈動しているだけだ
そこには誰もいない
さしもの自我も完全に無くなってしまう
やり手はいない
宇宙があり、あなたがいる
海といっしょに脈動する波……
それがマハムドラーだ
それは最終的なオーガズムであり
可能な限り、最も至福に満ちた意識の状態だ
和尚
『存在の詩』 より引用
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